銀次郎備忘記

トリプルバトル・感想徒然・その他

トリプルバトル 辞世の句 集成

 

はじめに

 はじめましての方ははじめまして、そうでない方もはじめまして。今回、了承を得まして、トリプル村Discord内の辞世の句チャンネル内の俳句・短歌・詩歌・その他魂の叫びを講評させていただくことになりました、宇都宮銀次郎です。

 

 正直なところ、私は大学の文学系サークルに所属しているとはいえ、俳句・短歌・詩歌等の造詣は浅く、詩歌の内容をなぞることしか出来なかったり、個人の感想に留まる部分が多いにあると思われます。また、前提知識・元ネタが欠落していたり、出鱈目なことを言ってしまうかもしれませんが、ご容赦ください。

 

 今回は、それぞれの作品に講評としてコメントをつけ、個人的なお気に入りの句を、最優秀作品1つ、秀作3つ、佳作5つ選ばせて頂きました。また、作品紹介の流れも、ある程度取り合わせの良い順番で並べたつもりでございます。読み手の名前はDiscordの名前で、敬称略としております。

 

 今回、数多の作品が投稿されておりました故、やや略式の講評となっております。その点も重ねて、お目こぼし頂ければ幸いです。

 

 ちなみにまだ誤字脱字等の確認はしておりません(2024/05/03現在)

 

 では早速。

【死別】

 

〇桜散り 水面を見つめ 夢忘る 我がこうべこそ 仇なりけり とりこうべ

 トリプルフリー終了の象徴としての散った桜。おそらくその骸が浮かんでいる水面を見つめて、夢のようだったトリプルフリーを徐々に忘れていってしまうことを恐れ、自分の忘却していく頭と対峙していっているのであろうか。とても幻想的で少し物悲しい世界観がよい。

 

〇沈む村 滅びの歌が 鳴り響く 再起の祈り 届かぬ未来 らぎragi

 「滅びの歌」と「再起の祈り」で題詠しながら、トリプルフリーの終焉を切に告げる。この絶望的な観は沁み入るものがあり、トリプル復活の祈りが未だ叶えられていない我々の現況に向き合わせられる。題詠もされており高度な歌なこともあって、「歌」・「鳴る」・「響く」の意味重複が少々勿体ないと。

 

〇ありがとう トリプルフリーと ガメノデス 君たちとの出会い 忘れないよ 秋桜

 「君たちとの出会い」の破調が鮮烈で秀逸だ。トリプルフリーの方々とガメノデスに代表される個性的なポケモンたちとの出会いは、ここだからこそ生まれたかけがえのないものであろう。この強調された「君たちとの出会い」のあとに「忘れないよ」とくることで、よりこの結句のあたたかみを感じるのだ。

 

〇叫び声  沈みし心  沈む村 光潰えぬ  画面と眼 ななつき

 上句での絶望に対比して、トリプルが映し出された画面の光とそれを反射する眼に灯った喜びの光が象徴的だ。「沈む」の重なりが勿体ないか。

 

〇沈めども 水の泡とは ならざりて 永遠と散るまい 想いやそこに 元帥(TAKERU)

 「永遠と散るまい」の句切れが印象的だ。この四句目の残り続けるという力強い意志表明が、より「想いやそこに」の強調に説得力を持たせ、確固とした意志を感じさせてくれる。

 

〇在りし日は 知覚せずとも 今刻む あなたに会えた この歓びを カワリミ

 私はこの句の「今刻む」というところが好きだ。トリプルフリーの思い出は、意図せずとも「今」、自然と刻まれるのだ。

 

〇春霖よ 滅びか涙か ニンフィアよ 勝鬨あげろ 堰の上まで ショコラ

 季語の選び方が上品でよい。しとしとと春霖が雨滅びによる終わりを想起させるなかで、それでもダムに沈む最後まで戦を挑み続ける姿勢が、情景に映えて格好がいい。

 

〇射干玉の 髪はばたきて 離れゆき 着きし水底 ゆかり豊けし ようじょの定理

 雅で、情景が目の前に浮かんでくるようである。ハバタクカミのいるSVから離れて辿り着いたのは、水の底に沈んだトリプルバトル界隈であった。しかしながら、そこは沈没船のような寂れたものではなく、寧ろコミュニティ内の繋がりの強い竜宮城の如く賑やかな場所であった……と。情景の豊かなよい歌でした。

 

〇勾玉と 髪が羽ばたく 未来でも ふと振り返る 故郷の村 らでぃあ

 こちらもハバタクカミの題詠だが、こちらは髪の前に枕詞ではなく「勾玉」を持ってくることで、よりハバタクカミの連想へと直結させ、「後ろ髪を引かれる」などというように髪のイメージを用いながらかつてのトリプルフリーを懐かしく思う気持ちが歌われている。味わいが深い。

 

〇味方をも 爆散させし かの戦 満たされつるは 我が心かな あげは

 爆発で叶えなれるのはなにより爆発をした者の満足感なのだ。それをこの歌は思い出させてくれる。あらゆる爆発が私たちの心に達成感とロマンを残して消えていくのだ。

 

〇トリプルで 皆と過ごした 時間こそ 別れこそすれ 失いはせず アザミ

 「サヨナラは悲しい言葉じゃない」とでもいうべきであろうか。別れは喪失ではないということを私に気づかせてくれた。時間とは別れを告げてゆかねばならないものだが、存在していなかったことには決してならないのだ。

 

〇沈みゆく 村と寄り添う いくさびと 数多のおもひで 永遠に抱いて Eris

 「いくさびと」が仮名で書かれていることによって、思い出に寄り添っていく「いくさびと」の優しさが表出していてよい。また「おもひで」と旧体の仮名遣いをしているところも、思い出をかけがえのないドラマチックなものに表現できており、言葉の使い方が上手いなと思った。

 

〇惜しみわび 沈む残骸 あるものを 村に朽ちなむ 縁惜しけれ 忘れ物の剣士

 相模の「恨みわび……」の本歌取り。オンライン接続の終了は、やはり我々にとって惜しくて惜しくてたまらないものだ。「惜しむ」の重複が猶更それを引き立てているだろう。

 

〇水の底 宝が沈む 想い出の 陽の力さし 宝取り出す @シエル

 水と陽の対照が、この歌をロマンチックに仕立てている。(ここでは「想い出の」が「陽の力さし」に係っていると解釈すると、)「陽の力さし」という表現が面白い。想い出というものがトリプルの崩壊へ抵抗を示す力となり、明確に差し込むように我々の「宝」を拾い上げるという構造は、トリプルへの想いによってこれを存続させようと奮闘する我々の現在に重なる。語順や重複が調整されていたらもっと良い歌だったか。

 

【叫び】

ああトリプルよ、君を泣く

君死に給ふことなかれ

末に生れし君なれば

ダムの底には消えにしも

毛玉はORASをにぎらせて

試合を撮れと教へしや

ダムを壊して死ねよとて

二十四までを育てしや 麹屋

 与謝野晶子の詩のパロディ。トリプルの英才教育。「毛玉はORASをにぎらせて」の語感がとてもよく、何度も口ずさみたくなる滑稽さがあってとても良い。

 

〇テレパシー 大爆発と テレパシー 大爆発と 噴火ゲングラ けーあっとにーそ

辞世のパーティーらしい。なんというか、「トリプルフリーらしさ」が濃縮されていて、とてもワクワクするよい句だ。いや、本当に「トリプル」だ。

 

シビシラス業者も遂に店じまいすると思ったか!!!

オフ会でまだまだ配るので欲しい人は事前に連絡してねー無連絡でも在庫ある分なら配れるけどないかもだから事前連絡お願いねー(字余り)  ユウケイ

 これまた、「トリプルらしさ」の強い、よい句であると思う。思い返せば、トリプルフリーに戒律など無かっただろう?自由な発想とそれの実行力としての「トリプル」が前面に現れた楽しい句だ。

 

〇色とりどりの声は響き勇気の翼はいち早く飛ぶあゝトリプルよ永遠なれ ルフォン

 抒情豊かなよい詩。色、声、飛ぶ、と色彩や音や動きが明快に脳内で描きだされるため、そのあとの「あゝトリプルよ永遠なれ」の詞が印象的に伝わる。トリプル高校の校歌とかこんな感じっぽい。

 

体は3DSで出来ている。

血潮はソフトで心はポケモン

幾たびのオンライン対戦を越えて不敗。

ただ一度の敗戦もなく、

ただ一度の勝利もなし。

担い手はここに少数。

3DSの丘で卵を孵す。

ならば我がトリプル歴に意味は不要ず。

この体は、

無限の3DSで出来ていた。 SUR

 

 鎌倉武士の名乗りの如く、豪快に高らかと叫ばれた宣言。もはやオフに行けば今ここからでもいつでもトリプルバトラーとなることの出来る現在を鑑みると、強くこの叫びに共感できる。3DSの時代に生きた我々に刻み込まれた歌であろう。

 

〇万事を尽くし 闘い耽て 切れる時を ただ待たん 美少女

 戦闘者らしい、オンライン通信が切れることを嘆くのではなく、戦い続けることによってその終わりを待とうという覚悟の詩。詩自体のリズムも小気味よく、「ただ待たん」と締めるところが、ある種の達観があってよい。

 

〇村と共に沈めども我らは願わん いつか来たる解放の瞬間を エメラルド

 ゲーチスの「解放」は、果たして救済であったのかは疑問に残る。しかしながら、それでも我々は願ってしまうのだ。トリプルバトルの復活が、たとえ望まぬ形になってしまうとしても。

 

〇トリプルの 全ての出会いに ありがとう ヤヲ

 「ありがとう」の言霊は重く、だからこそ切実にその想いが伝わってくる。私からも、ありがとう。

 

〇今この瞬間の対戦が 最高に楽しい

 これこそ、心からふと出た言葉の切り取りといった作品だろう。「今この」という表現がより輪をかけて、その時その時のバトルを楽しむ意気を力強く感じさせる。

 

〇あぁ、楽しかったなぁ ピイロ・ユイ

 小文字の「ぁ」が情感を引き立てる、心からの声だろう。上代以前の歌を思い出させられるような、ナチュラルさが魅力的だ。

 

〇トリプルフリーをこの世界から解放することです! 原初を刻むゲーチス(あましろ

 トリプルフリーを代表するゲーチスの叫びだ。どこか高らかで、どこか悲痛で。

 

〇雨滅びオフをよろしくゥ! SN@石の洞窟

 私、関西を根城としております故、まだ行ったことないんですよね~。夏とかの長期休みに沢山開催されてくれないかしら。

 

メガガルーラ!メガガルーラ!メガガルーラ!メガガルーラぅぅうううわぁああああああああああああああああああああああん!!!

あぁああああ…ああ…あっあっー!あぁああああああ!!!メガガルーラメガガルーラメガガルーラぅううぁわぁああああ!!!

あぁクンカクンカ!クンカクンカ!スーハースーハー!スーハースーハー!いい匂いだなぁ…くんくん

んはぁっ!メガガルーラたんの栗色の身体をクンカクンカしたいお!クンカクンカ!あぁあ!!

間違えた!モフモフしたいお!モフモフ!モフモフ!髪髪モフモフ!カリカリモフモフ…きゅんきゅんきゅい!!

トリル始動を猫だましで止めるメガガルーラたんかわいかったよぅ!!あぁぁああ…あああ…あっあぁああああ!!ふぁぁあああんんっ!!

グロパン決まって良かったねメガガルーラたん!あぁあああああ!かわいい!メガガルーラたん!かわいい!あっああぁああ!

メガトンキックも覚えて嬉し…いやぁああああああ!!!にゃああああああああん!!ぎゃああああああああ!!

ぐあああああああああああ!!!トリプルフリーはサービス終了する!!!!あ…ORASもUSUMもよく考えたら…

ト リ プ ル フ リ ー は サ ー ビ ス 終 了 す る ?にゃあああああああああああああん!!うぁああああああああああ!!

そんなぁああああああ!!いやぁぁぁあああああああああ!!はぁああああああん!!増田ぁああああ!!

この!ちきしょー!やめてやる!!ポエモントレーナーなんかやめ…て…え!?見…てる?バトルボックスメガガルーラちゃんが僕を見てる?

バトルボックスメガガルーラちゃんが僕を見てるぞ!メガガルーラちゃんが僕を見てるぞ!ギミックパに雑に突っ込まれたメガガルーラちゃんが僕を見てるぞ!!

バトルビデオのメガガルーラちゃんが僕に話しかけてるぞ!!!よかった…世の中まだまだ捨てたモンじゃないんだねっ!

いやっほぉおおおおおおお!!!僕にはメガガルーラちゃんがいる!!やったよニンフィア!!ひとりでできるもん!!!

あ、GSトリプルのメガガルーラちゃああああああああああああああん!!いやぁあああああああああああああああ!!!!

あっあんああっああんあアロー様ぁあ!!ガ、ガルドー!!メガマンダぁああああああ!!!カポエラぁあああ!!

ううっうぅうう!!俺の想いよメガガルーラへ届け!!トリプルフリーのメガガルーラへ届け!俺は実はエルテラ使いなんだっ!! ちゃま

 狂気。ルイズコピペの汎用性を思い知らされた。メガガルーラ、毛がゴワゴワのパサパサでモフモフできなさそう。あと、エルテラ使いなのかよ。

 

【再会】

 

〇辞世の句 代わりに書いてる 別れの歌 カエデ

 ここまでで、皆さんが死別の歌を詠む人とひと時の別れを詠む人に大きく二分されたなという印象がある。皆さまはどちらを詠まれただろうか。ここでは、「辞世の句」ではなく、「別れの歌」を詠むのだという強い想いが現れている。

 

〇ここに地終わりダム始まる RALO

 ダム前にひっそりと刺された、誰にも見られない看板のようなつぶやき。「終わり」が「始まり」を体現している点で印象的だ。さあ、ここからどんな歴史を紡ごうか。

 

〇トリプル村は 滅びゆく その道様や 過去に消へ 堰堤開けし 名を謳い 嫁 忘れえぬ 御世も常 トリオン

 orasのテーマにも通ずる話だが、「終わり」は別の事象の「始まり」であるということを示唆してくれる。トリプルフリーの崩壊は今まさにトリプルオフの時代の始まりとなっており、ダムが出来たならそれを切り拓いていくのが我々の「常」なのであると感じさせられた。

 

〇かつて見た 始まりの海 懐かしみ 終わりの大地 踏みしめて行く らでぃあ

 「始まり/終わり」三連作としてよいだろう。こちらはレート時代の、そしてBW時代からのトリプルまでさかのぼりつつ、「終わり」である今からさらに未来のトリプルへと「行く」のだ。この「行く」に我々の万感の思いが込められうる。トリプルはまだまだ続くのだぞ、という思いが。

 

〇村沈み トリプルフリー 死してなお できた縁は まだまだ続く 赤今ワンダー

 直情的で気持ちのいい歌だ。オフ会もまだまだ開かれ続けており、トリプルフリーの生み出した縁というものが脈々と繋がっていることに感謝してもしきれない。

 

〇十二桁 君と僕とを 繋ぐ鍵 忘れ去れども 記録は此処に eins_xd

 その視点があったか、と驚かされる。BVのコードは明確に我々を繋いだ紐帯であり、トリプルフリーが忘れ去られて行っても、確かに我々の記憶はそこに残っているのだ。

 

〇今ぞ知る とりぷる村の 恩らいん だむの下にも みやこありとは DOVE

 オンラインでのトリプルフリーが終了しても、「恩」とも呼べるような温かみのあるつながりがトリプル村に存在している、このことにふと気が付いたのだ、という構図は、今講評を行っている私もしみじみと感じ入る。

 

〇オンライン トリプルバトル 追憶し 別れの時か いつかどこかで ボブ

 過去から、そして未来へと。終了したトリプルフリーの思い出を拾い集めながら、これからのトリプルに思いを馳せるという構図が良い。音の使い方が少々贅沢か。

 

〇春風に 運ばれ去るは オンライン フリー死すとも オフ会死なず あかさび

 オンラインを連れ去っていくものとして「春風」を選ぶところに、可愛らしさと小気味よさがある。板垣退助の名言の借用もそこにさらに面白さが追加されて、楽しい句だ。二句目が少々口寂しいか。

 

〇この春に チェリムとともに 閉じるとて 我待つ次の 晴れを信じて 剣の舞

 次世代のトリプルバトルを待つという行為と散らない桜としてのチェリムの詠み込みが巧く、「我待つ」と淡々と待ち続ける姿に重なりおもしろい。初句の春は少々過剰な情報か。

 

〇世界との 自由な繋がり 終わるとも 個とは再び まみえることを HOPE

 清らかな祈りである。オンラインでの自由な繋がりが失われたとしても、オフラインでの繋がりは続いていくことを、純粋に、そしてこれまでになく真剣に祈りたい。

 

〇我ゆくも ホウエンの地に かへり来ん 村に酬ゆる ことの足らねば ひろ

 こちらも直情的でどこか不思議と懐かしいように感じる歌だ。その理由はホウエンという郷土からだろうか。ホウエンから少しの間旅立つけれども、トリプルの村には戻ってこようという、静かではあるが確固とした意志が垣間見える。

 

〇今だけは ざんねんですが さようなら 孰れまた来む 三重奏よ えびせん

 「ざんねんですがさようなら」を組み込みながら、よくここまで情緒的に出来たものだと思う。仮名の多い緩やかな前半に対して、後半で「孰れまた来む三重奏よ」と漢字を多く用い、古式にそして詩的に表現している。

【機知】

 

ニンフィアが 結局強い めちゃ強い 沖縄

 もはや我々は圧倒的な強さの前には、ただ「強い」ということだけを伝えることしか出来ないのだ。その強さが確かに、ニンフィアにはあった。

 

メタグロス 嗚呼メタグロス メタグロス... 濃硫酸

 うん、メタグロスへの愛がいいね。

 

〇ギミックや スタンパーティ 夢の跡 食中毒

 松尾芭蕉からの本歌取り。ギミックもスタンパーティも共に共存し輝けたのがトリプルフリーの醍醐味であったことを痛感する。どんなパーティも我々にとって「つわもの」だった。

 

〇2010 9月18 初レート 兵どもの 夢の跡かな satsuki7710

 松尾芭蕉その2。己の生きざまを刻みつけようとするその姿も、また「つわもの」だ。

 

〇そういえば 見ることなかった ゲチャールズ たけ

 そうっすね、そういえば見た覚えがなかったです。ゲチャールズ、結局現れたのでしょうか?

 

〇さらばとは 言わぬぬトリプル いつかまた チャールズゲーチス イッシュで会おう

  アイダブユー

 相変わらずチャールズもゲーチスも人気やなぁ……。チャールズはそもそもが詩的なのでよく引用されるのは納得です。この歌はアニポケのOP・EDのようなフランクさが魅力的。

 

〇パデックが 動画のネタに 困りそう 焼きそばパン

 それはそうね。パデックさんはこれから何をやられるのかしら。SVダブルかな?楽しみです。

 

〇人間50年 トリプル歴2年 下天の内をくらぶれば 夢幻の如くなり ひょうこ

  こちらも織田信長が本能寺で舞ったとされる「敦盛」からの借用。人の五十年が下天での一日に過ぎないのであれば、それこそトリプルは一瞬に過ぎなかった。だが、その刹那の時間こそを、我々は愛しく、この上なく甘美に感じるのだ。

 

〇是非に及ばず DOVE

 言わずと知れた織田信長の最期の詞。トリプルから最も身近な英雄の最期の詞を借用するセンスがよい。

 

〇ゲチに及ばず K_K

 信長とゲーチスの人気に嫉妬。

 

〇繋ごうとしても 繋ごうとしても 繋がらない メイネイネ

 種田山頭火。どうしようもない無力感が強く伝わる。

 

〇(謎の音声) アマネ

 死に絶えた最期の音だろうか。南無。

 

クレッフィ 味方に威張り クチートの 不意打ちだけで 相手壊滅 halgion

 写実派。クチートもまた、個人的にはorasを象徴するポケモンであったな、と追憶する。

 

〇Oパワー使っても一人 ナス

 尾崎放哉の本歌取り。インターネットでの繋がりを直に感じることの出来たOパワーも、もう使えないのだ。この事実と本歌の寂寥感が強く共鳴し合って、独特の美しさを醸し出している。本歌取り系列のなかではかなり秀逸だろう。

 

【抒情】

 

〇沈みゆく ダムを見下ろし 笑う影 桜散りゆく 鬼面の王者 美少女

  「笑う影」とはいったい誰なのだろうか。この句は多分に我々の想像力を膨らましてくれる。笑っているのはSVの象徴としてのオーガポンを連想させる「鬼面の王者」か、それともダムの下の民なのか。いずれにせよ、我々にとってはまた、ダムの下に沈むことなどは、桜の花びらと同じくらい儚い笑いの種に過ぎないのやもしれない。

 

〇滑り込む 夢の終わりの その前に ネズ2

 まさに滑り込むような滑らかな句で、勢いがよい。私だったら「滑り込む」を末尾に入れてしまうだろうが、「その前に」と締めることでテンポの良さを保ちながら、どこか含みをもたせた情緒豊かな句に仕上げている。

 

親も愛・姫・猫・石火 繭・ゲチ・ホロウ・花 

そのトリプルさへ ダムにしずみ ERAを 抜きて 食われよ トリオン

 おそらく元ネタがあるのだろうか、独特な世界観が醸成されている。とくに「ERAを抜きて食われよ」のところがめちゃくちゃ格好いい。淡々とした前半の羅列から展開される、「令和トリプルという時代を抜かせ、されど我々が制す」と言わんばかりの情熱的な後半には度肝を抜かれた。

 

〇注水の合間に奏でる雨輪唱 あらずぃお

 ダムに水が注ぎ終わる最後の最後まで、我々はトリプルにおいて、「輪唱」のごとく、皆でトリプルを完成させた。BVに出ていないポケモンを無くそうというムーヴメントがその最たる例であったろう。我々は、もはや、トリプルフリーの時代という芸術作品を一つ完成させたのだ。

 

〇三並べ たかが遊戯と 知れりども アマネ

 そうだ、我々は、トリプルが「たかが遊戯」と知っていたはずなのだ。それなのにどうしてか、我々はここまでトリプルに引き込まれてしまう。それを自覚した時の驚きが「知れりども」の締め方に象徴的に表れているだろう。

 

〇此の隙を 咎め破りし 我が殻も 崩せぬ堰堤 ただ沈むのみ…… ダーマルコル

 令和トリプルの一翼を担ったガメノデスが、相手方の一瞬の隙を突いて「からをやぶる」姿は、もはや何回もその光景を見ている我々にとっては想像に容易い。しかしながら、そうした英雄的なガメノデスでさえもトリプルフリーの終了という時間の堰堤は崩すことが出来ず、トリプルフリーの終焉を見守ることしかできない無力感に、経験から染み出た味がある。

 

佳作

 さて、ここからは佳作とさせていただきます。正直なところ、良いな、と思う作品が最終的に12個程度ありまして、そこからきりのいい数までなんとか絞りました。

 

任天堂が終わりと言ったとてお行儀よく辞世の句なんて詠むかぁ!! ナス

 少々字余りだが、破調の短歌として詠んでいいほどには勢いとリズムが良い。これまたトリプルらしい歌だ。Hiphopがはみ出し者の歌であるとするならば、トリプルははみ出し者のルールなのかもしれないと思わせるほどに、破天荒で、力強く、突飛とした発想を持ったエネルギッシュな歌で、個人的に好きだ。

 

〇からっ風 響き渡るは 「さようならまたいつかね」と 三度会えるまで たなかです

 語順がすき。また再び君とトリプルが出来るまでずっと君の「さようならまたいつかね」が脳裏にこびりついて離れないんだろう、というストーリー性を、この語順であることによって、メロドラマのような、されどさらさらとした爽やかさも併せ持つ、独特のラヴソングに仕立てられている。

 

〇五月雨は 露か涙か  雨滅び 我が名を沈めよ ダムの底まで イヴ

 水の様々な連想によって「雨滅び」を上手く生かした良作だ。「我」は滅びゆくトリプルフリーの最中で、その滅びを受け入れ名を挙げることを選んだ。この生き様が情景に刺さり、サムライとしての「我」を引き立てて美しく見える。

 

〇駆け込みて 宴たのしや 蜃気楼 二度の別れも 夢であればと MSA-003 ネモ

 前半の宴の賑やかさから一転、「蜃気楼」で静けさが広がる。この「蜃気楼」が非常に効果的でよいだろう。トリプルが最新作で復活するかしないか、一切の兆しも見えない中淡い希望を抱かされ続けている我々は、あの楽しかったトリプルフリーとの別れが現実ではないのだと思い込みたいのだ。

 

〇まだ舞えた つるぎとちょうと 我が心 誰太郎

  トリプルフリーは思い返せば、むしろ長く続いた方なのだろう。儚い希望としてのトリプルバトルの存続は「まだ舞えた」という驚きと喜びに現れ、「剣の舞」と「蝶の舞」という題詠を組み込みながら、それと同時に予想のほかにもトリプルフリーに心躍らされる一人称に没入していく。その一人称の姿には、失われつつあるトリプルフリーの姿と重なって、どこか味があり哀愁を漂わせながらも、ささやかな幸福に包まれた者の姿が目に浮かぶ。

秀作

〇トリプルも 夏の映画も 我が旅路 ほげ

 二十年以上前から続いているポケモン映画と同等にまで我々の生活にトリプルバトルは染みついていた。その事実に気づかされるとともに、もはや人生という旅の中に組み込まれてきていることを再確認させられた。これからもきっと、我々はトリプルと共に歩んでゆくだろう。

 

〇最終日 感極まって ハイになる てんどん

 「最終日」の入り方が美しい。消えゆくトリプルフリーの現実を生々しく、そして硬く表現した良い語句のセンスだ。そこから「感極まって」と転換し、その現実に際して悲観などせず、寧ろ武者震いのような高まりをみせ、「敗」することなど顧みず、「high」になり「灰」として燃え尽きるのだ。

 

〇また見ることもない トリプルバトルが遠ざかる (我は戦闘家) くらうん

 大胆な破調。思い返せば鑑賞会のありとあらゆるBVは、我々にとって「また見ることもない」ようなシーンの数々であった。しかしオンライン接続の終了によって、そうした機会は失われていってしまう。この虚しさに、括弧書きの「(我は戦闘家)」というアイデンティティの内省が共鳴し、もうオンラインで戦うことの出来ない喪失感がより際立っていて美しい。

最優秀作品

 

〇雨クチよ 皆滅ぼせど 耐うるもの 残るものあり 我が心なり やきとり

 とてもテンポのいい歌で、現実で何度も口ずさんでしまうほどに、「耐うるもの残るものあり我が心なり」の響きがいい。このような心地のよく弾んだ「我が心」が描かれた下の句に対して、上の句の淡々とした滅びが印象的で、とても面白い歌だ。今回の私のお気に入りです。持っていないけれど、色理想めざ炎神通力ロズレイドあげたい位です。

 

さいごに

 以上で、講評を締めさせて頂きます。何しろ膨大でしたので、全ての作品に対しまして講評をしたはずではございますが、こちらの見落としがあるやもしれません。もし見落としを発見されましたら、ご連絡いただければ幸いです。

 

 貴重な経験をさせて頂きありがとうございました。